妊娠とバセドウ病
バセドウ病は妊娠可能年齢の女性に好発しますので、バセドウ病加療中、あるいは、加療後の妊娠が問題になってくることがあります。
バセドウ病の加療中
抗甲状腺薬(甲状腺ホルモンの産生を抑える薬でメルカゾール、プロパジールなど)で加療されている場合に関してですが、妊娠初期は甲状腺機能正常を目標に、妊娠後半になってくると、free T4が正常上限付近になるようコントロールする必要があります。これは、母体のfree T4が胎児のfree T4と相関するためで、母体が内服している抗甲状腺薬が胎児へ胎盤を介して移行するため、胎児の甲状腺機能が低くなり過ぎないところを目標とする必要があるためです。また、妊娠週数が進むと、母体の免疫異常が落ち着いてくる傾向があり、そのためバセドウ病の病勢自体も落ち着いてきます。そのため、必要な抗甲状腺薬の量が減ってくる傾向があります。これらの理由から、バセドウ病の薬物治療中における妊娠時は、妊娠経過に合わせて、適宜内服量の調節が必要となってきます。
これに加え、内服で治療を受けている際に気になる点として、やはり抗甲状腺薬の児への影響が挙げられるでしょう。
バセドウ病に対する内服薬には、メルカゾール、プロパジール(チウラジール)、ヨウ化カリウムがあります。メルカゾールに関しては、後述するPOEMスタディという本邦における研究の結果、妊娠中のメルカゾールの内服が頭皮欠損、後鼻孔閉鎖、食道閉鎖、臍腸管瘻といった胎児奇形に関連することが証明されました。そのため、妊娠初期のメルカゾール内服は避ける必要があります。ただし、奇形に関する影響が危惧される期間を過ぎた妊娠15週以降であれば、メルカゾールの使用は可能です。
一方でプロパジールは現時点では妊娠初期に使用可能な抗甲状腺薬とされています。しかし、メルカゾールに比べ効果が弱いこと、重篤な肝機能障害や血管炎といった副作用の報告があることなど、メルカゾールに比べ母体にとっては注意すべき点がある薬剤となります。
ヨウ化カリウムに関しては、慢性的に大量のヨードを摂取すると胎児の甲状腺が腫大するとの報告があります。一方で、少量(6-40mg/日)のヨウ化カリウムで管理された場合、児の甲状腺腫の増大は認めなかったとの報告があります。そのため、ヨウ化カリウムは使用せずに済むのであれば、妊娠中は使用しない。しかし、病状に応じてどうしても必要な場合(たとえば、著明な甲状腺機能悪化を認め、できるだけ速やかに甲状腺機能を改善させる必要がある、抗甲状腺薬が使用できない、甲状腺機能を改善させ、手術を行う必要がある、など)は、甲状腺機能に注意しながら使用する必要があります。
これらを踏まえ、妊娠希望時の薬物療法を適切に選択していく必要があります。
[抗甲状腺薬と妊娠:POEM studyの中間報告]
妊娠中の女性、妊娠を希望される女性にとって、妊娠中に内服しなければならない薬の児への影響は非常に気になるところと思います。
2011年5月に発刊された「バセドウ病治療ガイドライン2011」では、「メルカゾールの催奇形性の有無に関しては結論が出ておらず」、「チウラジール(プロパジール)は効き目と副作用の点でメルカゾールより劣る」ため、「どちらの薬剤を選択するかは患者の意向を踏まえて決める」とされていました。しかし、2011年11月に行われた第54回日本甲状腺学会にて重要な報告がなされました。
現在、日本ではPOEMスタディ(Pregnancy Outcomes of Exposure to Methimazole Study)という抗甲状腺薬の催奇形性に関する前向き研究が行われており、その中間報告が行われました。その内容とは、「途中経過ではあるが、2011年6月までの間に、妊娠初期にメルカゾールを内服していた95人の妊婦さんのうち、妊娠初期(12週くらいまで)にずっと続けて内服していた人たちの中の5人のお子さんに、臍腸管遺残や臍帯ヘルニアなどという、“臍”に関連した異常と、頭の皮膚の一部が欠損している異常(頭皮欠損)が見つかりました。」というものです。これらはメルカゾールが関連する可能性がある奇形として以前より報告されているものです。「妊娠が判明し、すぐにメルカゾールをやめた妊婦さんではこれらの異常は認められませんでした。」とも報告されています。そして、これらの奇形は「チウラジールを飲んでいた妊婦さんや抗甲状腺薬を内服していなかった妊婦さん」では、認められていません。これらの結果から、こうした先天異常は「妊娠初期にメルカゾールの服用を続けていたことと関係があると考えられる」ため、中間報告が行われた次第です。
これらに関しては、日本甲状腺学会のホームページに患者様向けのページが作成されております。(www.japanthyroid.jp/public/information/index.html)そちらもご覧下さい。
バセドウ病で加療中に妊娠された方、今後、妊娠の希望がある方は、これらに関し説明させていただきますので、外来にてお気軽にご質問下さい。
バセドウ病の加療後
バセドウ病の加療歴がある場合、とくに手術やアイソトープ治療後で機能正常、あるいは甲状腺機能低下症となっている場合の妊娠には注意すべき点があります。
治療後、TRAbやTSAb(甲状腺を刺激して、甲状腺ホルモンを過剰に産生させるように働く抗体)が十分に低下していれば、基本的には甲状腺機能を正常に維持することを目標に管理していけば問題ありません。
しかし、TRAbやTSAbといったバセドウ病に関連する抗体が非常に高い場合は、これらの抗体が胎盤を通過して胎児の甲状腺を刺激し、「胎児バセドウ病」を来すことがあります。抗甲状腺薬で治療中の妊娠であれば、母体が内服している抗甲状腺薬も胎盤を介して胎児の方へ行きますので、母体の甲状腺機能をしっかりコントロールしていれば「胎児バセドウ病」を発症することはありません。(ただし、TRAb、TSAbが高値の場合、「新生児バセドウ病」を発症する可能性はあります。→新生児バセドウ病の項目参照)
胎児バセドウ病の場合、母体は甲状腺機能が正常であっても、母体の抗体の影響で胎児が甲状腺機能亢進症になり、発育が悪くなったり、心不全をおこしたりしてしまいます。このような場合、胎児の心拍数などを指標に充分量の甲状腺薬やヨウ化カリウムを母体に内服してもらい、これに伴い母体はこれらに加え甲状腺ホルモンも内服してもらうといった形で管理することがあります。
胎児バセドウ病の管理は、甲状腺専門医と産婦人科医がしっかりと連携をとって管理する必要があります。
以上からも分かるように、バセドウ病治療後で母体の甲状腺機能が安定していても、妊娠に関しては、治療後の状態を評価しながらの計画的な妊娠が重要です。
新生児バセドウ病
バセドウ病で抗甲状腺薬にて治療中の母体から生まれた新生児が、出産後に甲状腺機能亢進症を来すことがあります。これを「新生児バセドウ病」と言います。
胎児バセドウ病とどう違うのかと思われるかと思いますが、新生児バセドウ病の場合、母体のお腹の中にいるときは、母体が内服している抗甲状腺薬のおかげで甲状腺機能は問題ない状態です。この点が、胎児バセドウ病とは異なります。
出産後、母体からの抗甲状腺薬が胎盤を経由して来なくなるにも関わらず、母体から来たTRAbはしばらく体に残るので、その影響で出産後に甲状腺機能が高くなるといった具合です。新生児バセドウ病の発症の可能性については、妊娠中のTRAbやTSAbの経過をみることにより、ある程度の推測はできます。
妊娠中はこれらのことをきちんと評価し、必要に応じて産婦人科の先生、小児科の先生へ情報提供を行っていく必要があります。きちんと評価をした上で、リスクが高い場合は、出生後の管理が十分に行える施設で出産を迎えることが大切です。
授乳と抗甲状腺薬
出産後は授乳が一つの問題となってきます。
授乳のために、抗甲状腺薬を中止することは絶対にいけません。
メルカゾールであれば、1日2錠、プロパジール(チウラジール)であれば、1日6錠までは母乳中への移行は問題ないとされています。これ以上の量が必要な場合、内服後6時間程度あけて授乳するなど、工夫することで母乳栄養の継続は可能です。
ヨウ化カリウムに関しては母乳中への大量のヨウ素の移行が生じます。児の甲状腺機能のモニタリングが必要となります。
妊娠と甲状腺機能低下症
妊娠中、母体が甲状腺機能低下症の状態のままで放置されると胎児の神経系の発達に遅れが生じる可能性が示唆されています。そのため、妊娠中はきちんと甲状腺機能を管理する必要があります。妊娠中は、妊娠経過に伴って母体の甲状腺ホルモンの必要量が増えてきます。そのため、慢性甲状腺炎がある方の場合、妊娠前に甲状腺機能が正常であったとしても、甲状腺の予備能が足りないことがあり、そのような場合は妊娠中に甲状腺ホルモンが不足してしまうことがあります。そのため、慢性甲状腺炎の診断を受けている場合は、妊娠時、甲状腺機能を確認し、甲状腺ホルモン内服の必要性などをきちんと評価する必要があります。また、甲状腺切除後やバセドウ病のアイソトープ治療後などで甲状腺機能低下症になり、甲状腺ホルモンを内服している方の場合、妊娠の経過に伴い甲状腺ホルモンの補充量を増量する場合が多くなります。
一方で、まったく甲状腺の異常を指摘されたことがなく、妊娠中に初めて甲状腺機能低下症が発覚することがあります。このような場合でも、本邦での研究で速やかに甲状腺機能を正常化させ、妊娠後期に甲状腺機能が正常であった母体から生まれた児の発達に問題はなかったことが報告されています。そのため、そのような場合でもきちんと治療を受け、甲状腺機能を正常化させることが大切です。
妊娠初期の甲状腺機能亢進症
妊娠初期には、甲状腺の病気の有無に関わらず、一時的に甲状腺機能が高くなることがあります。妊卵から分泌されるhCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)というホルモンが過剰な場合に、hCGが甲状腺を刺激し甲状腺機能が亢進状態となってしまうのです。
hCGはつわりにも関係しますので、つわりがひどくなる時期(妊娠10週頃)に甲状腺機能亢進の程度が強くなり、つわりが落ち着いてくる頃には甲状腺機能も落ち着いてきます。
大切なのは、バセドウ病との鑑別になってきますが、妊娠中、バセドウ病の確定診断に必要な放射性ヨード摂取率という検査は、放射線を使った検査ですので行うことができません。そのため、TRAbやhCGの値を中心に判断していく必要があります。
出産後と甲状腺機能
妊娠中は母体の免疫異常は落ち着くことが多いというのは前述したとおりです。逆に、出産後は落ち着いていた免疫の異常が再び悪化することがあります。
一つは出産後の無痛性甲状腺炎があります。慢性甲状腺炎の既往のある方の場合、特に注意が必要です。通常は出産後2~4ヶ月頃を目処に発症することが多いようです。
また、バセドウ病のある方の場合、妊娠中はバセドウ病の勢いが落ち着いてきます。しかし、出産後は、4~7ヶ月頃を目処にバセドウ病が悪化する可能性があります。他に、妊娠中に甲状腺ホルモンの内服量を増量しなければならなかった場合、出産後は減量が必要となります。
以上のような理由から、甲状腺機能の異常がある方の場合、出産後も甲状腺機能の確認ならびに内服の調節が必要となってきます。
自己免疫性甲状腺疾患と流産
自己免疫性甲状腺疾患とは、バセドウ病や橋本病(慢性甲状腺炎)などを指し、免疫のトラブルによって生じてくる甲状腺疾患の総称です。この甲状腺に対する免疫の異常自体が妊娠に影響を与えることが知られています。
甲状腺自己抗体には、抗サイログロブリン抗体(TgAb)、抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体(TPOAb)、TSHレセプター抗体(TRAb)などがありますが、このうち橋本病(慢性甲状腺炎)に関連する抗体、TgAb、TPOAbは流産との関連が指摘されています。
TgAb、TPOAbが陽性の妊婦さんと陰性の妊婦さんを比較した際、流産率が約2倍になると報告されており、膠原病や関節リウマチなどに関連する抗核抗体が陽性の場合は約3倍になるとされています。これは甲状腺ホルモンの値が正常であっても見られる現象です。不妊治療(生殖補助医療)に関しても、これら自己抗体が陽性の場合は着床後の流産率が陰性の場合と比較し高くなるとする報告もあります。(変わりがないとする報告もあります。)また、習慣性流産に関しては、甲状腺自己抗体との関連性を示唆する報告が多く見られます。これらより、甲状腺自己抗体陽性例では流産のリスクが高まる可能性が高いと考えられています。
では、どのように対処していく必要があるのでしょうか。
橋本病で甲状腺ホルモン値が低くなった場合の治療は甲状腺ホルモン剤の内服で容易にコントロールすることができます。しかし、自己抗体を確実に取り除く治療法は現時点ではありません。しかし、TPOAb陽性例において、甲状腺機能が正常であっても積極的に甲状腺ホルモン剤を投与すると流産率・早産率ともに抑制されたという報告があります。そのため、習慣性流産で悩まれており、甲状腺自己抗体が陽性の方の場合、甲状腺ホルモン剤の補充を試みてみるのも一つの選択肢となってきます。
甲状腺疾患と不妊症
最近、甲状腺疾患と不妊症の関連が指摘されています。
国内外のデータをまとめると、不妊症女性の10人に1人は潜在性甲状腺機能低下症、5人に1人は甲状腺自己抗体陽性とされています。特に、不妊症の原因として排卵障害や子宮内膜症が関連している場合、潜在性甲状腺機能低下症の合併率が有意に高いとする報告もあります。そのため、不妊治療を行う前には、TSHの値やTgAbあるいはTPOAbの測定も必要と考えられています。潜在性甲状腺機能低下症の不妊女性における顕微授精に関する成績の報告もあり、甲状腺ホルモン剤の補充で流産率の低下、受精率、妊娠率、出産率の改善が報告されています。これらを考慮し、不妊治療中に潜在性甲状腺機能低下症を認めるような場合は、積極的に甲状腺ホルモンの補充を開始していくことが望ましいと考えられます。
これらの点に関し、ご質問などありましたら、外来にて気軽にお尋ね下さい。