甲状腺癌

はじめに
『甲状腺に悪いできものがある。あるいは甲状腺癌。』と医師から告知されると誰しもショックを受けると思います。しかしまず知っていただきたいのは、甲状腺に発生する大半の癌は、他の臓器の癌に比べて性質がおとなしく進行がゆるやかなため、すぐに命を脅かすものではありません。告知されてすぐの「頭がまっしろ」な状態で医師にすすめられるままに手術日を決めてしまい後悔することのないように、あるいは決断するための情報を得ていただきたいと考えて、甲状腺癌について公開しました。甲状腺癌の治療の基本は手術で、他の癌に比較して生命的な予後(手術後の生存)は良いとしても、頚部には大事な器官・神経があり美容的な影響もあるので、甲状腺の病気に精通した内分泌外科医あるいは甲状腺専門の耳鼻咽喉科医(頭頚部外科)に任せることが大事です。(各地の専門医あるいは甲状腺学会専門医を参照してください) 決して一般外科の片手間に甲状腺の手術を行なう先生にお願いしてはいけません。尚、ほとんどの大きな病院には乳腺・内分泌科と標榜していますが、大半の先生は乳腺を専門にしていますのでホームページその他で情報を確認をされたほうが良いと思います。あわてて手術する必要はありませんので、ゆっくり考えて納得できる施設で手術を受けてください。

甲状腺癌の種類について
 甲状腺癌は、「乳頭癌(にゅうとうがん)及び 濾胞癌(ろほうがん)を含む分化癌」と「髄様癌(ずいようがん)」「未分化癌(みぶんかがん)」「悪性リンパ腫」に大別されます。それらは生物学的特性(進行のしかたや治療に対する反応など)が違います。性質のおとなしい分化癌が全体の約95%です。

乳頭癌について
 甲状腺分化癌の約90%を占め、超音波や細胞診検査で診断は比較的容易です。乳頭癌はリンパ節(甲状腺の周囲、気管の前や頚部の外側)や甲状腺内に転移しやすいのですが、癌細胞の増殖はゆっくりで予後はきわめて良好です。きちんと腫瘍を切除できた患者さんの10年生存率(手術後10生きる確率)は95%前後ですから、肺癌や胃癌などに比べるとはるかに良いものです。
 乳頭癌治療の基本は手術です。甲状腺やリンパ節を切除(取り除く)する必要がありますが、残念ながらどの程度切除するかに関しての統一された見解はありません。なぜ統一された見解がないかというと、乳頭癌は予後がよくて治療による差がでにくいからです。甲状腺乳頭癌での治療による差を出すにはたくさんの患者さんの長期の経過観察が必要になってきます。そういう事情で納得できる臨床成績は海外を含めてありませんし、今後も前向きの成績がでる見込みはありません。理論的根拠と経験的なものに合併症の頻度などを総合的に考えて手術方法を決めているというのが実情です。
 甲状腺切除範囲については、亜全摘出術(甲状腺の4分の1程度を残す)、 全摘出術(全部切除する)と片葉切除術(甲状腺の半分を切除、右葉切除あるいは左葉切除)などが行なわれています。甲状腺全摘出術を基本とする施設は、乳頭癌が高率に甲状腺内に転移すること、術後放射性ヨードによる内照射療法(放射線を含んだカプセルを飲んで甲状腺癌の治療を行なうこと)が可能であること、サイログロブリンを腫瘍マーカーとして利用しやすいことなどを根拠としています。これに対して乳頭癌の大部分は甲状腺を全部取らなくても予後が良いこと、反回神経麻痺(反回神経は声帯の動きを調節する神経で、それを損傷することにより、声がかれたり飲食でむせたりする)や術後の副甲状腺機能低下症(血液中のカルシウムを調節している副甲状腺ホルモンが低下して、カルシウムが低くなり手や顔面などがしびれる)をきたす危険が高くなることから亜全摘出術を基本の手術方法とする施設もあります。我が国の多くの施設では亜全摘出術が行なわれることが多いようです。それぞれに利点・欠点があるので画一的に決めるのではなく、患者さんに応じた手術方法の選択が重要だと考えます。両側(甲状腺の右葉と左葉)に多発病変を有する患者さん、手術時すでに遠隔転移(肺や骨転移など)あるいは手術後に遠隔転移がきたしやすいと判断される患者さんには、術後の放射性ヨードによる内照射療法のために全摘出術の適応となります。私自身はクリニック開院後は全摘の比率が高くなっています(全症例の40%以上)。亜全摘術でも甲状腺ホルモンの内服は必ず必要です。前述した全摘出術の欠点としての合併症の頻度が高くなるのは、技術を磨くことにより克服できます。国の事情(特に放射性ヨード治療に関して)は違いますが、欧米諸国や隣の韓国でも甲状腺癌(微小癌を除く)に対する標準手術は、甲状腺全摘出術であることを考慮すると少しずつ全摘出術がふえてくるのではないかと考えます。
 リンパ節切除に関しては腫大したリンパ節のみを切除するのは非常に再発率が高いので、特殊な場合を除いてしません。甲状腺・気管周囲と病変のある側の保存的側頚部リンパ節切除(筋肉・神経や大事な組織を温存して、リンパ節と周辺の脂肪組織を切除する)を基本としている施設が多いようですが、画一的にならずに、術前・術中の所見により甲状腺・気管周囲のみから両側の切除まで選択すべきです。最近では小さな癌が診断されることも多くなり、そんな場合には片葉切除に気管周囲リンパ節の切除までで良いと思います。甲状腺・気管の周囲のリンパ節は最初に転移が発生することが多く、同部の再発が気管狭窄などの致命的障害の生ずる可能性があることや再手術の際に反回神経や副甲状腺を損傷しやすいなどの理由で、初回時にきちっと切除すべきと考えています。対側の側頚部リンパ節再発の確率が非常に低いこと、両側の側頚部を徹底的に切除すると術後に顔面の浮腫をきたことがあり、患者さんにとっては非常に苦痛になることがあるので、私は対側に明らかに転移があるとき以外は両側のリンパ節切除は行っていません。定期的に診察し、リンパ節再発を診断した時点で切除しても通常は手遅れになることはありません。
 乳頭癌の予後が非常に良いこと、頚部は重要な神経や器管が集約する解剖学的制約のあること、美容的な問題のあることなどより、他臓器の癌よりさらに根治性とQOL(生活の質)を考慮した手術が望まれます。そのためには、術前の画像診断、特に超音波検査が重要です。甲状腺内の他の部位への転移や甲状腺の他疾患の併存の有無やリンパ節の転移があるか、丹念に調べる必要があります。超音波検査は検査技師や放射線科・内科医師に任せるのではなく、手術を担当する外科医が注意深く行なうことが望ましいと考えています。
 気管・喉頭、食道、大血管などの周囲臓器に浸潤(癌細胞がひろがること)した局所に進展した癌でも分化癌であれば積極的に浸潤臓器の合併切除により長期生存が期待されます。しかし術後の合併症や後遺症なども多くなるので、患者さんによく病状を説明して手術法を選択する必要があります。
 超音波や細胞診の普及により小さな癌がみつかるようになりました。これらのなかには転移もおこさず生命に影響を与えない癌がかなりふくまれていると考えられます。剖検例(遺体を解剖して病気がないかの検査)の約1割に甲状腺癌がみつかり、その大半が微小癌であることがわかっています。そこでこれらの微小癌のすべてが治療の対象とはならず、症例を選択し厳重に経過観察している施設もあります。しかし、現時点ではどの患者さんが臨床癌に進行するかわからないこと、微小癌でも経過観察中にリンパ節や遠隔臓器に転移をきたしたり被膜浸潤や反回神経麻痺をきたす可能性があるので、全身状態の悪い患者さんや高齢者など特別な場合を除いて手術を施行したほうがよいのではないかと考えています。

濾胞癌について
 分化癌のうち濾胞癌は10%程度です。肉眼的にも組織学的(顕微鏡での観察)にも濾胞腺腫(良性の腫瘍)と区別することが困難です。当然、遠隔転移(肺や骨などの頚部以外への転移)が証明された特殊な場合を除いて手術前に濾胞癌と診断することはできません。濾胞癌は細胞異型(細胞の形が正常ではない)や構造異型(構造が正常ではない)などからでは診断できず、被膜浸襲(腫瘍の外側に皮膜があり、そこに癌細胞が食い込んでいる状態)あるいは血管浸襲(血管のなかに癌細胞が食い込んでいる状態)を認める場合に診断されます。濾胞性腫瘍(良性の濾胞腺腫と悪性の濾胞癌の総称)では、腫瘍径の大きい症例や血清サイログロブリン値の高い患者さんで癌の割合が高くなりますが、例外も多いので最終的には取り除いてみないと良性か悪性かわからないということになります。濾胞癌の生物学的特徴としては、肺や骨などへ遠隔転移をおこしやすいがリンパ節への転移は非常に少ないことです。これは先に述べた乳頭癌の性質とは大きく異なります。乳頭癌に比較すると予後はやや不良ですが、10年生存率は90%以上です。手術中に迅速病理検査(顕微鏡検査)を施行しても濾胞癌の診断は困難なことやリンパ節再発が死因になることが少ないので、肉眼的に明らかなリンパ節転移のない患者さんに対して予防的にリンパ節を切除する意義は少ないと考えています。病理診断で濾胞癌と診断された時には、肺や骨に転移がないことを確認し、慎重に経過観察する必要があります。手術後の病理検査で濾胞癌を診断された場合、残存甲状腺切除を行う施設がありますが、大半の濾胞癌は微小浸潤型(小範囲の広がり)であり甲状腺内への転移は少なく片葉切除で根治性が高いことより、2期的な全摘出術は慎重にすべきです。少なくとも被膜浸潤だけの患者さんではほとんど再発がないのです。

未分化癌について
 甲状腺悪性腫瘍の約1%が未分化癌と診断されます。未分化癌に対して、手術、抗がん剤治療、放射線治療が単独あるいは組み合わせて行なわれていますが、残念ながら効果に乏しいというのが実情です。そういう意味では、「未分化癌にならないためにどうするか」というのも重要です。私が医学部学生の頃(約25年前)の外科の教科書には「甲状腺悪性腫瘍の約10%が未分化癌」と記載されていました。なぜこのように頻度が減ったかというと、甲状腺の腫瘍が早めに適切に治療されるようになったからです。腫瘍を放置することにより癌細胞が遺伝子変化をおこして、おとなしい性質から徐々にたちのわるい性質にかわる場合があるので、それを避けるためには早めに適切な施設で検査や治療を受けるのが望ましいのです。また、分化癌が再発を繰り返しているうちに未分化癌へと転化(変化する)していくこともありますので、治療を行なう側が再発を繰り返さないように努力することも重要です。まず予防的なことを書きましたが、実際に未分化癌と診断がついた場合は、まず「未分化癌の診断が間違いないのか?」を確認する必要があります。甲状腺の病気に精通した病理医が診断に十分な組織があれば誤診(あやまった診断)することはないと思いますが、上記の条件が揃わなければ誤診が生じる可能性はあります。一部の悪性リンパ腫は未分化癌と誤診されやすく、悪性リンパ腫であれば抗がん剤治療や放射線治療で治ってしまうことがありますので、診断は非常に重要です。治療について、最初に書いたように根治させる有効な手段がないので、患者さんの年齢や全身状態、腫瘍のひろがりなどを考慮して、納得のいく選択をしなければなりません。甲状腺未分化癌に対しても、最近では外来での抗がん剤治療もすすんでいます。

髄様癌について
 甲状腺悪性腫瘍の1〜2%で、細胞診や腫瘍マーカー(CEAやカルシトニン)で診断できますし、家族の病歴より疑われることもあります。甲状腺髄様癌は家族性と非家族性とに大別されます。家族性の場合は遺伝子が原因となっていることがわかっており(遺伝子診断が可能です)、他の臓器の病気が合併することもあります。
 治療法は家族性と非家族性の場合とで異なってきます。家族性の場合には手術前に副腎や副甲状腺の精査を十分行った上で、甲状腺全摘術と両側のリンパ節切除、病状によっては副甲状腺切除が必要となります。副腎褐色細胞腫があり高血圧などの症状があれば、副腎摘出術を先に行なうのが安全です。非家族性のものでは、乳頭癌に準じる術式で甲状腺とリンパ節切除を行ないます。予後は甲状腺分化癌よりやや悪い程度でおおむね良好です。尚、この病気が診断されたら遺伝性の病気に詳しい内分泌外科医に治療を任せることが重要です。

悪性リンパ腫について
 甲状腺原発悪性リンパ腫は比較的まれで、甲状腺悪性腫瘍の約1〜2%です。以前は急速に甲状腺が腫れてきたと訴えてくる患者さんが多かったのですが、慢性甲状腺炎の経過中に悪性リンパ腫が発見されることも多くなってきています。超音波検査と細胞検査で大体の診断がつきます。細胞診のみでは確定診断がつきにくいので、甲状腺生検術(甲状腺の組織の一部を採取する)を行い、病理診断と組織亜型(悪性リンパ腫は細かく分類されています)を決めます。
 治療は、一般に悪性リンパ腫は放射線治療や抗がん剤治療が効きやすく、生検材料の病理組織型、臨床的ステージ分類(進行度)、年齢等を考慮して放射線治療単独か、放射線治療に化学療法を併用した方法を用いるかを決めます。手術で根治も可能ですが、一般的ではありません。病変が甲状腺内に限局し、組織型が低悪性(悪性の程度が低いもの)であれば、放射線治療だけで経過をみます。それ以外のより進行した場合、あるいは悪性度の高い組織型であれば、放射線療法に加えて化学療法が必要になります。非常は組織型や進行度によって違いますが、分化癌に比べるとやや悪いようです。